都留文科大学とあるオタクサークルの日常。

都留文科大学のオタクサークル「アニメ・声優研究会」の公式ブログとして、活動記録などを掲載していきます!

【メンバー執筆】「日常」は《物語》を殺すのか?

 

 こんにちは。
 アラ氏として活動に参加している4年生です!

 前回、6月15日の活動で、映画監督・脚本家の「押井守」さんの文章を参加メンバーに提示して、色々な意見を聞いてみました。
 その内容をちょこっとメモしたいと思います! 

「まんがタイムきらら展」にて

テーマは「日常系」です!
(まんがタイムきらら展にて撮影)

 

 

 

押井守「日常」という主題の台頭


 押井守監督。
 『攻殻機動隊』や『うる星やつら』などの作品を手掛けています。日本国内外で高く評価されており、「日本SF大賞」や、アニメ界のアカデミー賞と言われる「アニー賞」等々を受賞しています。

 今回扱うのは、文化庁が主催する「メディア芸術祭」の審査員として押井監督が、2012年に掲載した文章です。



 まずは、こちらの文章を絶対に読んでください。
 

 「物語」の退潮が著しい。
 あるいは「物語る意欲」がアニメーションの世界から喪われつつある、と言うべきかもしれない。おそらくここ数年の傾向だと思えるのだが、テレビシリーズ、映画作品を問わず「物語」が大幅に退潮し、それに代わって「日常」という主題がアニメの世界を席巻しつつあるらしい。日常における登場人物の感情の機微を描く─というより、もっと直截に「気分」を描くことに終始する作品が、明らかに増加している。それはもはや傾向というより、あたかもひとつのジャンルとして形成されたかのような印象すら抱かせる。
 劇的なるものが、もはや以前のようには求められていないのかもしれない。
 だが制作者の側からするなら、それでいいのかという思いは残る。なぜなら少なくとも日本におけるアニメーションの歴史は、ただひたすら劇的なるもの、物語を語ることのみを追求してきたからであり、結果としてそれが日本のアニメーションに、ある独自性を生み出してきたからだ。その表現が稚拙であったにせよ、物語を語ることに特化する、そのことで獲得された独自の表現形式を、いとも簡単に投げ捨てて、ではその次にどのような表現が立ち現われてくるのか。
 「日常」なるものが、それに代替しうるとは思えない。物語の退潮という状況のなかで、新たな物語を語る意欲を示したいくつかの作品を推した、それが最大の理由でもある。

archive.j-mediaarts.jp





 この文章に対して「どう思うか?」と聞きました。

 

 

 

 

 

 

サークルメンバーの意見

 

前回の活動の様子

 

 サークルメンバーの意見です。
 やっぱり、自分以外の人の意見を聞くと、新しい見方を知ることができるので、大切ですね!


 前回の活動報告でまとめてくれています。
 でも、ここでも改めてまとめておきます!

tsuru-otaku.hatenablog.jp




 

日常系を悪者扱い?


「押井監督の言いたいことは分かる」

 と一定の理解を示すメンバーが多かったです。
 後でまた触れますが、サークルメンバーでもこの潮流を感じている部分はあるようで、ある程度の理解を示す声が挙がりました。



「でも、日常系を貶してまで言うことでない」

 理解を示した上で、まるで日常系が悪者であるかのように受け取れる言い方に対して疑問や不満を抱いたメンバーが多かったです。

 

 

 

確かに日常系は多い


「日常系はめっちゃ増えている」

 多くのメンバーが感じているようでした。
 「きららアニメ」を筆頭に、日常を描いた作品が増加している点には同意する声が多かったです。



 この点については、押井監督がこの文章を書いた「2012年」と「2019年」に放送されたTVアニメをそれぞれWikipediaで確認してみました。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

 

 

 

押井監督には共感できない


「アニメに濃い物語を求めていない」

 そもそもアニメに濃い物語を求めていないために、押井監督の意見には共感できない、というメンバーもいました。



また、
「『うる星やつら』を監督した貴方がそれを言いますか!?あれもギャグでしょ」
 というストレートな意見も。

 

 

 

 

アニメに「癒やし」を求めている


「アニメには癒やしを求めている」

 何人かのメンバーから寄せられた声です。
 深く考えずに見られたり、リラックスできたりすることで楽しんでいるようです。多くの方がこれに当てはまると思います。



「今のストレス社会を背景に、《日常》が求められているのでは?」

 こういう考察も聞かれました。
 とにかく忙しい時代になって、ストレスが溜まりやすい社会になる中で、癒やされる時間、休める時間を求めている人が多くなっているのではないか?と。

 この点をゲームで例えていたメンバーもいました。
 昔はテトリスインベーダーゲームのように深く考えずに遊べるゲームが多かったけど、最近は『ゼルダ』とか物語が重い・厚いゲームも増えているから、アニメに物語を求めていないのでは?と。

 また、ネットとの関連で考えるメンバーも。
 ネットの広がりによって、情報が簡単に入手できるようになった一方、自分が望まない情報も受け取ってしまうため、ストレスが溜まっているということでした。

 

 

 

その背景には”規制”がある?


「最近はロボットアニメも減ったよね」

 こう指摘する声がありました。
 確かにロボアニメの減少はこのサークルでも何度も話題に上がりました。ロボアニメは戦争を扱うものも多く、物語が重くなりがちです。



「TVの倫理規制が影響しているかも?」

 規制が強くなってきているから仕方ない、という意見もありました。
 一方で、NetflixAmazon Primeのようなネット配信では過激な作品も公開されているという指摘も。観たい人だけ課金できるので、規制を気にすることはないですからね。

 

 

 

日常系の良いところ!


「ストーリーが無いから単話で楽しめる」

 逆に、日常系の良いところを探す方向にも議論が展開しました。
 まず、ストーリーが無いことで、途中から見ても楽しめるし、簡単に入れるところがメリットだという声がありました。



 その他は、やはり「癒やし」や「萌え」を求めているという側面が大きいと感じました。

 

 

 

日常系だってファンタジーである


「日常系だってファンタジーだぞ!」

 日常系が物語を持たないと言うが、日常系だってファンタジーである点を強く押す声も聞かれました。

・後ろの席に転校生がきたり、
・かわいい妹がいたり、
・外国人が転校してきたり、
・親が頻繁に海外出張にいったり、

というのは現実ではありえないですからね。

 

 

 

単なるサイクルの問題かも?


「今後、物語が盛り上がるかも」

 今、もしくは2012年当時は確かに日常系が多い状況が続いています。けど、もしかしたら今後はまた「物語」に対するニーズが増えてくるかもしれない、という意見です。



「いや、物語だって残っている」

 物語だって生きているという主張も。
 確かに日常系が目を引くけれど、今だって『Fate』が大流行していて、Fateはまさに物語コンテンツの最たるものですからね。

 

 

 

 

「癒やし」と「日常」の両立


「両立は難しく、バランスが悪い」

 やはり、両立は困難というのが大半の意見。
 「癒やし」に色々と頭を使うような物語があると、それは疲れてしまう原因になりますからね。



「結局は個人の好みだよね!」

 このサークルではお馴染みの、「自由だよ」という意見が今回も登場しました(笑) これはお決まりですね。

 

 

 

 

 

 

私の個人的な意見

 

 以上がサークルメンバーの意見の概要です。

 そして、活動時はあまり私の意見を言いませんでした。
 この議題の提案者なので公平性が保たれないし、4年生なので後輩が萎縮してしまうと意見を聞けないので。

 でも、それもフェアではないので、この場で簡単に意見を書こうと思います。(あくまでも個人的な意見ですよ)

 

 

 

押井監督の意見に大いに共感

 

 私は、押井監督の意見に大いに賛成です。
 まず、これは最初に明確にしておく必要があります。

 特に以下の部分、

「物語る意欲」がアニメーションの世界から喪われつつある

という点に共感します。
 というか、アニメに限らずもっと広い範囲のように思います。


 

 そして、この議論で注意すべきは「物語」の意味です。

 一般的に言う「ストーリー」や「物語」はもちろんどの作品にもあります。ここで押井監督が示す「物語」はもっと深いもの。言語化はなかなか難しいでうすが、《人生》や《哲学》に近い意味合いを含んでいると思います。(これは押井作品を見ないと分からないかな.....)

 押井監督の文章の中で探すと、

日常における登場人物の感情の機微を描く

などが具体的に指しているひとつかもですね。



 私は、押井監督が言うような日本アニメの黎明期に生み出された「貪欲に物語るアニメ」とか、アニメが盛り上がった時代の風潮を知らないので、比較はできません。

 けど、「物語る意欲が喪われつつある」というのは強く感じます。

 

 

 

 

世の中が”分かりやすさ”を求めている


 「物語」の代わりに台頭しているのが、「分かりやすさ」という点だと思います。今の時代、何をおいてもまず分かりやすさが重要。

 広告は「0.5秒で興味を引け」と言われます。

 ラノベの題名が長いのは、読者が内容をイメージできるから。映画のダサいキャッチコピーが多いのは観客を集めるため。専門家の話よりフェイクニュースが拡散されるのも「分かりやすい」から。漫画広告が流行っているのもそう。



 それに、(真偽はともかく)今の若者には読解力が無いだとか、本を読むのが苦手だとか、新聞を読まなくなったとか、ツイッターばかりとか、色々と言われます。

 う~ん......この円に関しては、個人的には考えるのが苦手になっているわけでは無いと思いますけど、確実に変化はあるだろうと思います。



 そういう中では、この「日常系」というストレスフリーなジャンルが広く受け入れられていることにも頷けます。

 

 

 

 

日常系と異世界の増加


 「日常系」と「異世界系」の増加が核心的。

 この2つは、押井監督が言う「物語」という意味では極めて薄いものになっていると思います。

 もちろん、素晴らしい作品はたくさんあるし、作者さんや制作の皆さんが真剣に作り上げているという点は重々承知をしております。



 どちらもやっているコトが作品で変わらないです。
 あ、「分かりやすく」するために、かなり極端に歪曲して書いているので、あしからず。



 「日常系」
 春に入学して、部活を作って、期末試験の後は夏合宿。2学期に文化祭をやってクリスマスとお正月で年明け。バレンタインを経た卒業式で泣いて1年間が終了。このサイクル、時間と展開が固定化してしまっているように思います。

 そこで作品の差別化を図っているのは、せいぜい部活の違いやキャラの性格くらい。

 デフォルメされた日常の中で、似たような「楽しい学校生活」を演じるキャラクターたちに、「物語」を見出すのは難しいと思います。



 異世界系」
 これも、トラックに轢かれて異世界転生をして、チートでハーレムを築く展開に凝り固まった作品を多く目にします。で、結局は「俺たた」エンド。

 違いを生んでいるのは、チート能力の種類とヒロインの髪の色くらい。

 ヒロインはテンプレの台詞で主人公の虜になり、その主人公はお決まりの決め台詞を吐いていくところに、「物語」を感じられるでしょうか?



 別に、「日常系はクソくらえ!」ではありません。

 私だって日常系は大好きだし、『のんのんびより』も『ゆるゆり』も、当然「きららアニメ」だってめちゃくちゃ好きです!
 『きらら』については、展覧課にだって行きました!!

「まんがタイムきらら展」にて撮影

まんがタイムきらら展」にて撮影




 しかし、押井監督が指摘した

物語を語ることに特化する、そのことで獲得された独自の表現形式を、いとも簡単に投げ捨てて、ではその次にどのような表現が立ち現われてくるのか。

という部分は、心当たりある方もいるのでは?

 この「表現形式」が文字的な意味なのか、映像的な意味なのか、はたまたその両方なのかは分かりませんが、「日常系」や「異世界系」にそれが名を連ねるかと言われると......ねぇ。(いや、”新しい表現形式”なのかも)



 押井監督が先見の明を持って

それはもはや傾向というより、あたかもひとつのジャンルとして形成されたかのような印象すら抱かせる。


と指摘しているように、ジャンルとして確立しています。

 ジャンルが確立するというのは、ストーリーの固定化や類似化が起こってしまうものなのだというようにも思います。つまりは消費者が求めるものを提供しているだけですからね。

 

 

 

 

物語は決して死んでいない


 私は、物語はまだまだ生きていると思います。

 アニメを見れば、まだまだ「物語」を持った意欲的な作品は生み出されて公開されています。でもそこには、やっぱり制作者の意識が必要なのかもな、とも。
 この「制作者」には、もちろん監督や脚本家、そしてプロデューサーとかも入ると思います。



 脚本家などで考えてみましょう。

 岡田麿里さん。
 『あの花』や『凪のあすから』などで、キャラクターたちの日常の風景を描きながらも、登場人物たちの心の動きを丁寧に描写して物語を紡いでいます。


 虚淵玄さん。
 サークル活動時にも名前が挙がりました。『まどマギ』や『サイコパス』などで衝撃的な世界観と展開を用意して視聴者を驚かせる物語を描きました。


 TRIGGER。
 言わずと知れたアニメ制作会社。『キルラキル』や『リトアカ』など他の作品にはない熱い展開と台詞をふんだんに盛り込んだアニメを作ります。


 宮崎駿細田守新海誠
 日本のアニメ映画を牽引する監督ら。大衆的に受け入れられながらも、作品はどれもオリジナリティに溢れた物語や独特の映像表現を捨てずに観客を楽しませてくれます。

 

 

 

 

オリジナル作品は強い


 上に挙げた脚本家や監督たち。
 共通点を見てみると「オリジナル作品」が人気な方々。

 逆に、「日常系」や「異世界系」の共通点を考えてみると、「原作がある作品」となるかもしれません。『きらら』とか『なろう』とか。



 そもそも、原作と言われる漫画や書籍でこの「日常系」や「異世界系」が流行っている中で、メディアミックスを謳う出版社によってアニメ化されるから、このジャンルの作品が増えているという構図があるように思います。

 その背景については、サークルメンバーから挙がった意見にお譲りします。



 そのような時に、監督や脚本家が自分の好きな、書きたい「物語」を形にするには、当然オリジナル作品として製作することになるのだと思います。

 ここで、Netflix」などは監督や脚本家などに自由に作品制作をさせることで有名です。金は出すけど口はださない、という形。だから、意欲作や面白い作品はネット配信に移行しているのかな、とも思います。

 

 

 

 

「日常」は《物語》を殺すのか?


 表題の言い方では「否」でしょうね。

 確かに日常系は、押井監督の言うような物語性には乏しいのも事実だと思います。

 でも、サークルメンバーの意見で「癒やしを求めているから共感できない」という意見がありました。 まさにコレで、そもそも求めているものが違うのだと思います。
 とはいえ、こういう日常系や異世界系だけが増加する状況に対して憂慮しないわけにはいかないかな、と。



 順番が違うというか。
 「日常系”が”物語を殺す」のではなくて、そもそも「日常系には物語が乏しい」という前提があるのでしょう。その上で、さらに日常系が物語アニメを駆逐しているなら、それは困った事態です。

 けど、物語を語る意欲を見せている作品や制作者はやっぱり存在して、それも素晴らしい作品ばかりなので、悲観すべきことでもないのかな、と感じます。

 それに、「今の視聴者は目が肥えている」という話もあるので、異世界系や日常系も含めて、アニメが全体的にレベルの底上げがなされていると考えることもできますしね。



 犯人探しをするわけではないですが、メディアミックスを推し進める出版社や製作委員会に加盟している企業の影響も弱くないのではないかなぁ~と。

 まぁ、ここは想像なので、どうかは分かりませんけど。

 

 

 

 

 

 

今後に注目!

 

 サークルメンバーが「サイクルでは?」という意見を挙げていました。確かにそうかもしれませんね。

 今後、もしかしたらロボットアニメや他のジャンルへの揺り戻しがあるかもしれないし、新しい物語性ある作品が勃興するかもですし。

 今は、「今後に注目!」という形で濁しておきましょう(笑)

 





 岡田麿里さん脚本の最新作も!

 『あの花』などの岡田麿里が脚本を手掛けたオリジナル・アニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』Netflixで配信開始されました!

 当初は劇場公開予定だったのですが、新型コロナの影響で急遽配信に変更されました。アニメは「スタジオコロリド」が制作し、監督は佐藤順一さんです!


本予告『泣きたい私は猫をかぶる』公式 (6/18配信スタート)



 めちゃくちゃ素晴らしい作品でした!

 キャラクターの心情を機敏に描き出す岡田麿里さんの脚本は本作でもしっかり生きています。しかし、ギスギスせず、重くない! コロリドの柔らかいアニメーションがとても優しい雰囲気を醸し出しています!

 ちょっと不思議なファンタジー映画です。
 ぜひ、とてもオススメです!!!

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押井監督の最新作!

今回取り上げた押井守監督。
 新しい作品を作っています!

 タイトルは『ぶらどらぶ』。
 吸血鬼が登場するドタバタのコメディになるそう。

 今回の文章を提示した押井監督の最新作ですから、果たしてどんな内容になっているのか楽しみですね~~~~!!!

www.vladlove.com


VLADLOVE Official PV